良い子になる為にしつけをしましょう。賢くするために訓練致します。
このような言葉はインターネットで犬のしつけなどのワードで調べるといくらでも出てくるのですが、そもそもしつけとは、訓練とは、どういうものなのか?をきちんと説明している所は少ないと思います。
言葉そのものの意味というよりも、一般的にこれらの言葉を使っている所から私の見解で言わせてもらうと、しつけとは共に暮らす上で必要なマナーやルールを教え飼い主と犬とが良い関係を作る事、訓練とはオビディエンス競技・ドッグスポーツ競技などの作業を教える事、と分かれます。
家庭犬にまず必要な事は関係作りを中心としたしつけであり、その後の楽しみとしてオビディエンス競技会、ドッグスポーツ競技などへと楽しみを広げる、が正しい順番だと私は考えています。
ただ残念な事に、『しつけとして訓練』を指導するケース、また『しつけとしてゲーム』を教えるケース、などなど混同した解釈で教室やレッスンを行う所も多々あるのが現状です。
もちろん訓練やゲームを否定している訳ではなく、しつけとは異なったものをしつけとして行っている、この事に対して疑問を感じるのです。
おやつを見せた時にオスワリやフセやマテが出来ればそれだけで十分賢いと思いますか?
本当に共に暮らしやすい犬になると思いますか?
犬に行動の形を教える事だけをしつけと称したものでは、『共に暮らす』という事を前提に考えると、結果的に意味の無いものとなってしまう、可能性が非常に高いのです。
しつけで本当に大切なのは適切な行動を教え、犬の状態を良く読み、人と共に暮らす上で状況に応じた適切な行動を常に取らせる事です。
食事を目の前にしている時だけフセをします。(フセをするともらえるから)→食事の時以外でフセといっても全くしません。来客中はずっと興奮して動き続けています…。
散歩の際、リードを着ける時はオスワリをします(リードを着けると散歩へ行けるから)→リードが着いた瞬間に飼い主を玄関から散歩が終わる頃まで引っ張り続けます…。
このような犬が得をする事が確実な時にだけオスワリやフセが出来た所で、日々のルールにも、人への尊重にも全くつながらない、というのは明白です。
すなわち『犬に対して部分的に何かをやらせても、根本的な関係作りにはならない』という事です。
これは問題行動の改善でも同じです。引っ張るのだけを直したい、吠えるのだけが困る…確かに問題として感じる部分はきっとそれだけなのだと思いますが、本当の問題は果たしてそこだけでしょうか。
そもそも日常的にルールも何もない好きな事だけやって暮らす生活をしていた場合、急にあれこれ要求してやらせようとしても土台無理な話です。
なぜなら当事者同士の関係も出来ていなければ、犬自身もやるべき事を何も知らないのですから。
また良く目にする、数ヵ月預かってその間に飼い主に代わってプロが愛犬をしつけします、などのうたい文句。
これも疑問を持たずにはいられません。
例えば、排泄のトレーニング、体のケア、社会経験などであればオーナーの代わりでも第三者が慣らしていく事は可能です。(無論、オーナーも方法の指導を受けるべきですが。)
でも、家で吠えて困っている、散歩をオーナーが上手く出来ない、呼んでも帰ってこない、この様な生活における問題に関して果たして望む結果が得られるでしょうか。
なぜ問題が起こるのか?その際どうすれば良いのか?どういう意識で接しどういう知識が必要なのか?
それってプロだけが持っていればオーナーは知らなくても良いものでしょうか?
正にしつけ(関係作り)のポイントはここです。
『誰が』、『いつ』、『どこで』、『誰に』、『何を』、『どのように』、させるべきなのか?
これを指導者がオーナーの立場になって真剣に考えないと本当のオーナーと犬との関係作りは出来ないという事です。
『誰が』→オーナーが
『いつ』→問題が起きる場面や日常生活で常に
『どこで』→問題が起きる場所や家、いつもの散歩コース、普段利用する施設など
『誰に』→自分の犬に
『何を』→共生していく上で適切な行動を
『どのように』→犬の性格、問題に合わせた適切な方法で
上記のように当てはめてオーナーの指導を行う事が最も望ましいというのは言うまでもありません。
ではそれを踏まえた上で、次回もう少し考えてみましょう。
Part2へ続く
ドッグトレーニング専門施設「フィールファン」代表 ドッグトレーナー。
犬の内面や行動などを理解し心理的な部分からの問題の改善、飼い主さまと愛犬とのあいだに良き信頼関係を築くことに強いこだわりを持つ。
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