前回は、『コミュニケーションは相手を感じながら取るべきもの』
で特殊な能力は必要ないという話でした。
感情を理解することはそんなに特別なことではないということは
お分かり頂けたかと思いますが、 ここでいくつか注意することがあります。
①擬人化しすぎないようにすること
人間は人間だからこそ相手を擬人化し、時として犬を犬として客観的に見ることを
忘れてしまいます。
人と犬とは異なるという点を忘れてはいけません。
②勝手に悲劇や喜劇にしないこと
勝手にストーリーを頭の中で作ってしまうこともあります。
悲劇のヒロインにしてしまい過剰な後悔や甘やかしにつながってしまうこともあります。
過去に何かがあったとしてもそこにずっととらわれていては前へ進めません。
また、過去の事を理由に,しつけをしない言い訳に利用するのも犬のせいにしている
としか思えません。
③気持ちが分かったとしてもその感情を常に優先順位の1番目にはできない
当然ながら『苦手なことだから咬んでも良い』にはできません。
嫌いなことだからこそ慣らす努力こそしますが、犬の感情の全てを優先できる訳ではありません。
病院などはその最たる例でしょう。
苦手なもので避けて通ることが可能なものは避けても構わないと思いますが、
どう考えても避けられないものには犬の気持ちを理解した上で受け入れられるように
トレーニングする必要があります。
大切なのは『感情を理解』した上でどう接するべきか?
<擬人化しないで客観的に考え、トレーニングが必要ならば時間を割いて行うこと>
だということですね。 そんなわけでコミュニケーションとは、
『相手の様子を見て気持ちを感じ取る』ことから始め、それを踏まえてどうするべきか考える。
ということが大切なのです。
そしてそんなに特殊な能力がなくても人間側からの一方通行にさえならなければ
気持ちを知ることは意外と簡単です。
犬の気持ちを踏まえた上でしつけを進めていけばきっともっと上手くやれるはずですよね。
ということで、コミュニケーションとは
『取ろう取ろうと気張らずに自然と感じ取ること』
を頭の片隅に置いてみてはいかがでしょうか。
代表 ジョニー
PS 私自身、小学生の頃などは当時飼っていた猫や拾ってきた鳥などをただボーっと眺めていたりしていました。
何もしないでただ見ていました。
そうすると自然と向うからこちらに歩み寄ってきます。
撫でて欲しそうなら撫で、何となく側にいるようなら彼らの見ている方向をマネしてみて見たり。
なぜそうしたか理由は特に思い当たりませんが、そうしていると不思議と相手の気持ちが分かるような気がしました。
事実うちで飼っていた猫の一匹は私の部屋で出産までしました。
パンパンのお腹でとにかく僕の後をずーっとついて来るので『わかったよ』と言って一緒に朝まで側にいました。
早朝急いで産箱を見ると無事に出産を終えていました。今思えばなぜ私に頼ろうとしたのか不思議ですが
(ろくすっぽ世話らしい世話などしていなかったもので^_^;)
これもまた貴重な体験のひとつです。
力まず自然と同じ時間を共有するというのも大切なことだと思います。